谷崎潤一郎は、戦前、戦後、晩年と三度『源氏物語』を訳した。通称谷崎源氏である。他の現代語訳と一線を画す谷崎源氏の特徴は、作家による自由訳とせず、専門家である助力者(山田孝雄・玉上琢彌)の存在により古典研究の知見が反映されていることにある。谷崎源氏研究は往々にして現代語訳がいかなる意義を持ったかという谷崎潤一郎論に回収されがちである。本研究の独自性は、唯一現存する『新訳草稿』という一次資料を用い、その改訳過程で生じた三氏の意見の対立に着目して古典文学を訳すことの本質的な意義を問う点にある。
谷崎源氏は、現代に生きる我々の「源氏物語観」の醸成に多大な影響を及ぼした。本研究は改訳の過程の解明を通して、谷崎源氏の理解は勿論のこと、現代に生きる我々の「源氏物語観の淵源」を遡り、その醸成の足跡を検証する。